昔も精神状態がどん底だった時期が(その2)

2022年2月1日火曜日

過去の話

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[前回の続き]



④【数年前(その1)】

 大学卒業後は大学院進学も就職活動もせず、とりあえずバイト程度に家庭教師をしておりました。といっても空白期間がかなりあり、とても安定して働けていたとはいえません。

 十数年前に最後の生徒さんとの契約が終わり、このころには

「どうしても私は生徒さんや親御さんと上手くコミュニケーションできない……」

ということを強く自覚しておりました。

 行こうか行くまいか長い間迷っていましたが、最終的に近所のメンタルクリニック(精神科/心療内科)に通院することに決めました。結果、社会不安障害と診断され投薬治療開始。


 しかし通院を続けても一向に改善せず、社会性も無く社交性も無く、実用的技術も専門的知識もなく人脈的なものも皆無と、このころにはだいぶ将来に対して悲観的になっておりました。

『年単位で通院しているのに改善の兆しすら見えない……』

『むしろ固定化・悪化している……』

と感じるようになり、

「このままダラダラ生きるよりは死んだほうがラクそうだな……」

ということで、食を絶てば上手く死ねるかもと考えました。


 早速冷蔵庫の食べ物(固形物)や保存食的に買っておいたものをすべて処分しました。

 毎日行っていた買い物にも行かず、ジュース類精神科で処方されていた薬を飲んで、あとはPCに向かいネットで暇つぶしをするだけの生活を数日続けました。


 しかし数日たってもちょっとめまいやふらつきがひどくなる程度で

『この程度では死ぬなんて絶対無理だわ』

という程度で安定してしまいました。

 結局アホらしくなってきて絶食死はいったん中断。水やらジュースやらを摂っていれば人間はそうそう簡単に死ねないのがわかっただけでした。

 ちなみにこの2~3ヶ月後にも精神的絶不調に陥り、水やジュースありで同じことを試しましたが、やはり絶食死には程遠い出来だったので、この方法では無理だと結論づけました。



⑤【数年前(その2)】

 この年は(こちらの記事で書いた)身内Aの他界別の身内Dの病気+入院などで実家が大慌てだった年で、私もそれに巻き込まれることになりました。

 とくに身内Dが病気で入院していたとき、私にはその気がなかったのに実家の家事やらなんやらをすべて押し付けられるような形になり、半強制的に数週間実家に居させられることになりました。

(※当時も現在も私は実家から片道4時間半程度のところで一人暮らし)


 その間、いかに『身内Dが病気+入院』という特殊な状況とはいえ客観的に見ても明らかに私の役目ではないことまで実家の人間にいろいろ押し付けられることになり、重度の社会不安障害(対人恐怖)で苦しんでいる私にとっては地獄のような苦しみを味わわされる羽目になりました。

(※もちろん『嫌われる覚悟で明確に拒否する』という覚悟が無かった私のほうにも落ち度がありますが)

 私は身内Dと非常に仲が良く、物事の考え方や捉え方が身内Dと良く似ていたので、身内Dの苦しみそのものはよく理解しておりました。

 その一方で私よりもっと身内Dの近くにいる人間(仮に"身内C"と呼んでおきます)がすべきことまでいろいろと押し付けられることに耐えられず自分も死ぬほど苦しくなったので、(身内Dには)悪いと思いながらも予定より少し早くウチ(一人暮らしマンション)に帰らせてもらうことにしました。


 結局そのあたりの出来事全般が原因で、ウチに戻ってからも心身の調子が最悪の状態が続きました。そして

「もう生きたくない、早く死にたい……」

と考えるようになり、水分も完全に絶つ絶食死を試すことにしました。


「前回は水分ありだったから全然死ねなかったけど、水分も絶てば早く死ねるかも……」

と期待していましたが、実際には期待外れでした。

 人間の体はしぶとく、2日程度食べ物ナシ水分ナシでサッと死んでくれればいいのに、実際には苦しみばかりが勝ってなかなか死には至らないという。。。

 だんだん『死にたいけど痛いのや苦しいのはイヤ』という気持ちのほうが強くなり、水無し絶食もやめてしまいました。



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