昔も精神状態がどん底だった時期が(その1)

2022年2月1日火曜日

過去の話

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 過去の精神状態がどん底だった時期』を2つの記事に分けて書いてみます。



①【中学校2~3年生のころ?】

 学校という集団生活の場で他人が近くにいる状態を長く続けることに耐えられず、鬱々とした日々を過ごしておりました。(このころからすでに社会不安障害的症状が顕著に出ていた)

 今もそうですが、私は身内や数少ない友人にも弱みをなるべく見せないようにしていたので、そういう鬱々とした感情が発散されず膨れ上がっておりました。


 そしてある日の夜、

「こんなんがいつまでも続くんだったら死んだほうがマシ」

と考え、突発的に

・縄跳び用の縄で首を縛って窒息死を狙う

・口と鼻の周りをビニール袋で覆ってテープでぴっちり止めて酸欠死を狙う

などの方法で自殺できるか試してみました。

 しかしどちらも多少苦しくなるだけで一向に死に至らないことに気づき、やり方を変えて

・縄跳び用の縄を使って自室カーテンレールで首つり

という方法を試してみました。

 一瞬苦しくなったものの、すぐにカーテンレールの強度が足りず折れ曲がってしまい、これも失敗。。。

 結局『今の時点では上手く自殺できる方法がない』と結論づけて、死ぬのはしばらく保留することに。


 このあと面倒だったのが、縄の痕が首についてしまって制服を着ても隠せなかったため、痕のことを問われるたびにいろいろ言い訳してごまかさないといけなかったことです。



②【同じく中学2~3年生のころ?】

 上記①があってからしばらくは表面上おとなしくしていた私でしたが、やはり時間が経つにつれてまた鬱々とした気分が抑えきれなくなってきました

 さらに具体的に何だったかは忘れましたが、私にとって非常にストレスになることがあって

「よし、今夜あたり死んでやろう」

と決意し、同居人みんなが寝静まった深夜にキッチンへ行きました。


 そこで包丁を取り出し、左手首をスパッと切って――――みようとしたのですが、死にたさより痛みのほうが勝ってしまい、結局軽く傷ができて血が少しにじむ程度で終わってしまいました。

 今も昔も『死にたいけど痛いのや苦しいのはイヤ......』という本音が隠し切れない私なのでした。


 ①と同じく、こちらも次の日以降ごまかすのが大変でした。痛みがあるので左手の使い方が不自然になりますし、ガーゼや絆創膏の類で左手首だけ隠すことになるので目立ちますし……。



③【高校入学⇒中退⇒大検合格】

 過去のことを書いた記事で述べたように、高校入学4日目で

『もう高校には行かない』

と決めて、最終的に「休学⇒翌年5月に中途退学」という形になりました。


 当時は現在と比べると確実に不登校に対する風当たりが強かった・風向きが悪かったため、色々と面倒なことになりました。

 私自身は学校に行かないことにさほど抵抗もなく、むしろクソみたいな集団生活から離れられてスッキリしていました。

 しかし同居していた身内Aや身内Bが、世間体だけを気にして私に各種精神攻撃を加えてきたもので、これに参りました。


 幸い身内Bのほうはその1年後には実家を離れてくれましたが、身内Aのほうは私が大学入学資格検定合格(現高認)⇒某私立大学に進学』するまで強烈なストレス要因になり続けました。

 身内Aは同居人+近隣住人+親戚の(ほぼ)すべてから嫌われていたような性格で、なおかつ友人・知人の類もほぼいなかったので、同居していて逃げられない私に『私のため』と称して異様なほど突っかかっていたのだろうなあと思います。


 いちおうこの時期は自殺を試みたことはなかったと思いますが、精神状態の悪さで言えば①②と同じかそれ以上でした。



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